喜久水

トンネルから出ると名酒だった『喜久水』(県北編)

秋田県北部能代市喜久水酒造といえばトンネル貯蔵として有名な蔵元です。
トンネルは能代市の中心部から東に約10キロにある旧国鉄の鶴形トンネル。 全長約100メートル、高さ4.6メートル、幅3.7メートルで約100坪。明治38年に奥羽本線 が 全線開通して以来、鉄道トンネルとして使用されてきたものです。1973年に奥羽本線の 複線化に伴い、北隣に新トンネルが作られてからは作業道路として使われていたのを 1996年、JRから購入し、「地下貯蔵研究所」という名で、酒の貯蔵庫に仕立てました。 2000年には国の登録有形文化財にも登録されました。

喜久水

6代目蔵元・平澤喜三郎氏がフランスのシャンパン倉庫を現地視察した際、 ワイナリーが自ら掘った地下トンネルの貯蔵庫を見て、「日本のトンネルで、吟醸酒も長期低温貯蔵すればおいしくなるのでは」と考え、電気代がかからないトンネル貯蔵を思い立ちました。

良い吟醸酒は、長く寝かせると、熟成が増し香りが蓄積され、味がよくなっていきます。光が届かなく、1日の温度変化の一定の冷暗所で、精白歩合40%のお酒の場合で平均4年、精白歩合55%のお酒の場合で平均1年と長い時間をかけ、熟成されたお酒が育っていきます。

一般流通しているお酒に混ざって、中には、時間をかけてじっくり製造している最高級のお酒も貯蔵。また、喜久水酒造ではお客様のお酒を有料で預かるサービスもあります。しっとりと熟成された喜久水のお酒は地元秋田・能代では”ハレの 日” に飲むお酒として有名なのです。
お子さんが生まれた記念に購入貯蔵し、20年後に届ける約束をしている人もいるそうです。大切な記念日を、生まれた年のお酒で祝うというのは、まさにワインのようです。

なまはげは、守り神として展示しています。神様なので、見学の際お賽銭をしていく人もいます。

『喜久水』の歴史

明治8年創業の老舗です。合資会社で、代表は代々平澤喜三郎氏。藩政時代よりこうじ屋をやっていてその前身は弘化年間(1844年-1849年)にさかのぼります。
昭和18年に廃業、23年に平沢酒造店として復活したのですが、24年に能代市内の大火に遭いました。火の回りも早く、住居と工場が丸焼けになりました。それでも家族で力を合わせて再建に向けて奮闘しました。そうして、31年から現在の名称に組織替えをしました。現在の建物は、火事のあと建てられたものです。


仕込み水は白神山系の伏流水。やや硬水に近い、酒造りに適した水です。その酒は搾ったときは荒さを残します。秋の出荷の頃には味がグンと落ち着くのが特徴だそうです。蔵の平均精米率は61~62%。55%精白が蔵の主流です。

「喜久水」という銘柄になったのは大正時代から。これまでは「喜三郎の酒」、さらに秋田県の品評会に出店するために「上等酒」「御国喜久水」「並等酒」「交歓」など名付けられました。現在の銘柄は、「日の本の御国と共に祝うべし、幾千代くめどつきぬ喜久水」から取ったそうです。酒造りに杜氏自身の名を冠す純米酒「喜一郎の酒」は現在大人気です。



かむたち

醸蒸多知修行とは?

醸蒸多知(かむたち)とは喜久水酒造で実施されている酒造り体験研修制度です。
12月始めから3月末の醸造期間中の1週間、同じ釜の飯を食べながら寝泊まりして杜氏と共に酒造りを行います。終了者には醸蒸多知の称号が与えられ、喜久水の企業秘密を知る特権が与えられます。これまで多く参加しています。
1989年に、小売店の人たちにも酒づくりの心を知ってもらおうとはじめたものです。これまで100人を越える醸蒸多知が誕生。「かむたち」は古事記に出てくる言葉で、ふかした米をそのままにしていたらカビが生え、いつの間にか酒になってしまったという意味です。漢字は当て字です。

伝統的な酒造りを守りながらも、ユニークな取組を行っている喜久水酒造。
今後も『喜久水』から目が離せません。